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| プロ野球がドラフト制度を導入した最初の年、1965年のドラフト会議で近鉄バファローズに2位で指名され、兵庫県育英高校から入団。高校時代からの持ち前の速球で1年目の1966年には10勝をマークした。翌年の1967年からは5年連続で20勝以上の勝ち星を挙げ球界のエースにのしあがった。 |
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| 1985年7月に「バッターに打たれても腹が立たなくなった。そんなピッチャーが勝負の世界にいる資格はない」とユニフォームを脱ぐまでの現役生活20年間に挙げた勝利数は317勝。もう日本のプロ野球界ではこの記録に到達する投手は出現しないと見られており、最後の300勝ピッチャーと言われている。 |
その間、投手部門の記録もノーヒットノーラン試合2度など数々の記録を達成している。また、オールスター戦には15度出場している。また、「逃げるピッチングはしたくない」と真向から打者に向かっていったことを証明するように、現役20年間に打たれたホームラン数は560本で、この被本塁打数はアメリカ大リーグを通じてもNO1。史上1位の78試合無四球試合とあわせて、小細工をせずに投げ続けたことを物語 っている。
座右の銘の「草魂」は踏まれても踏まれても芽を出す雑草のたくましさに惹かれたもので、練習に明け暮れ努力して成績を積み上げてきた野球人生をよく表現している。
現役引退後に、背番号「1」はパ・リーグで初めての永久欠番になった。
1985年西脇市民栄誉賞受賞。 |
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その後、7年間野球評論家として活動し、1992年末に近鉄バファローズ監督に就任。3年間の監督生活を経て1996年から再び野球評論家として活動中。
著書に「草魂」、「投げたらアカン」、「男の人生にリリーフはない」などがある。
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